7/9から東京のシネスイッチ銀座で『海洋天堂』が公開となりました。
「ジェット・リーの『海洋天堂』を日本で見たい!プロジェクト」
発足当初から携わらせて頂いている身としては毎日毎日胸がいっぱい・・・

なのですが。

今日のタイトルの「あの映画」は、別の映画です。
ずっと記事にしたかったんですが、なかなか時間がなくて後回しになってました。

 

 

http://jijitu.com/filmfestival2011/

 

2009年、旧宅に「あの映画」についての記事を書きました。
配給会社が決まり、日本で公開されることが決まったという報道が出た直後でした。

しかしその後、「あの映画」についての情報はパッタリ途絶えてしまいました。
ずっとずっと、待っていて、定期的にTwitterでつぶやいたりもしていたのですが、
最近は、「おじゃんになってしまったのかぁ・・・」と諦めていました。

それが先月になって入ってきた、有志による日本初公開のニュース。
http://www.cinematoday.jp/page/N0033527

 

「あの映画」の題材となっている事件について、私には判断するすべがありません。
正直に言うと、、、やっぱりできれば触れたくありません。
だって、ちょっとこの事件のことを口にすると、
必ずや目を血走らせた大人のひとたちが集まってきて、
ああでもない、こうでもない、そうだ、いいやちがう、と、
争いを始めるんだもん・・・

 
「あの映画」を作ったのは、陸川という、中国人の監督です。
そして、主演を務めたのは、我らが劉燁姫様。

彼らがどういう思いで「あの映画」そしてその題材になった事件に向き合ったのか、
私の、弱い上に酔っ払ったアタマでは窺い知ることはできませんが、
ただただ想像を絶するような壮絶な経験であったことは容易に想像できます。

彼らが膨大な時間・体力・精神力を浪費して、ある意味命がけで撮った映画を、
われわれは「できれば触れたくない」などと言っているばあいなのか。
この映画のことが忘れ去られていく中、
日本での公開を熱望していた陸川監督に、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

 

とはいえ、もし劉燁という人が出ていなかったら、
「あの映画」についてここまで思い入れなかったであろうことも確か。

「あの映画」の中の姫は、とっても静かで、強くて、そして壮絶に美しい。
でも単にそういうスゴイとかキレイだとかいう言葉から連想するようなものじゃなくて・・・
ああ何て言ったらいいんだ!!私のボキャブラリーではとても表現できない・・・
と、いつもどおり情けなくなっていたところ・・・
レッドさんのこの言葉がすごくしっくり来たので引用させて頂きますね。

手折られることを恥じいる花の、その美しい絶望だけをただ「ああ綺麗だねえ」とながめてそれで正しい。

 

 

 

 

 

 

そう、もう余計な言葉は要りません。

8月21日、日曜日。
1日だけの上映ですが、お近くの方は是非足を運んでいただきたいと思います。
私は行けません(涙)
関東での上映が大盛況なら関西でも上映の機会ができるかも…と淡い期待を胸に!